2016.1.28.Thu.
マタイ28章20節「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」
主イエス様はどんな人の側にもいてくださるお方です。
ただ、今回のみことばは、前後関係から言えば、「主のために生きる者」に格別に約束されているものです。
主のために生き戦い、共におられる主の素晴らしさを体験できますように!
Makoto Kohatsu
マタイ28章20節「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」
主イエス様はどんな人の側にもいてくださるお方です。
ただ、今回のみことばは、前後関係から言えば、「主のために生きる者」に格別に約束されているものです。
主のために生き戦い、共におられる主の素晴らしさを体験できますように!
Makoto Kohatsu
2016.1.27.Wed.
マタイ28章1-10節
イエス様は復活・よみがえりの主です。
死んだ心をよみがえらせます。死んだ人間関係をよみがえらせます。死んだ優しさをよみがえらせます。死んだ働きをよみがえらせます。そして私たちの死にゆく体をも終わり日にはよみがえらせる主です。
どこまでいっても、この主イエス様にあなたの希望を置いて礼拝し、ついていきましょう!
Makoto Kohatsu
マタイ28章1-10節
イエス様は復活・よみがえりの主です。
死んだ心をよみがえらせます。死んだ人間関係をよみがえらせます。死んだ優しさをよみがえらせます。死んだ働きをよみがえらせます。そして私たちの死にゆく体をも終わり日にはよみがえらせる主です。
どこまでいっても、この主イエス様にあなたの希望を置いて礼拝し、ついていきましょう!
Makoto Kohatsu
2016.1.26.Tue.
マタイ27章57-66節
61節では、マグダラのマリヤと他の者たちが、イエス様のおさめられる墓を見ていたとあります。
十字架のみならず、最後の最後までイエス様の行方を追っていました。
そしてこの人たちが、続く章でイエス様の復活の事実を知ることになります。
イエス様を追い求め続ける者は、次にすべきことが示されます。
イエス様を追い求め続ける者に、イエス様も真っ先に現れてくださる。
恵みの主に、あなた自身からも進んで応答する者となりましょう♪
Makoto Kohatsu
マタイ27章57-66節
61節では、マグダラのマリヤと他の者たちが、イエス様のおさめられる墓を見ていたとあります。
十字架のみならず、最後の最後までイエス様の行方を追っていました。
そしてこの人たちが、続く章でイエス様の復活の事実を知ることになります。
イエス様を追い求め続ける者は、次にすべきことが示されます。
イエス様を追い求め続ける者に、イエス様も真っ先に現れてくださる。
恵みの主に、あなた自身からも進んで応答する者となりましょう♪
Makoto Kohatsu
2016.1.25.Mon.
マタイ27章46節「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
「見捨てられた」という感覚を味わうことがありますよね。
でも実際は、お互いの気持ちをどう伝えたら良いかわからないから、そのように感じ合ってしまうという側面もあります。
本当の意味で「見捨てられる」というのは、冷静になってみるとあまりないのかもしれません。
でも、イエス様は本当に「見捨てられました」それは死に渡されるほどでした。
この身代わりの十字架によって、事実私たちは「本当の断絶」から守られているのです。
「見捨てられた」と感じるようなとき、思い出してください。
「本当の断絶は、イエス様がすでに受けてくださった。自分は決して一人じゃないはずだ」と。
そしたら見えてきます。あなたの側にいる人たちが。あなたの側にいる主なる神が。
Makoto Kohatsu
マタイ27章46節「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
「見捨てられた」という感覚を味わうことがありますよね。
でも実際は、お互いの気持ちをどう伝えたら良いかわからないから、そのように感じ合ってしまうという側面もあります。
本当の意味で「見捨てられる」というのは、冷静になってみるとあまりないのかもしれません。
でも、イエス様は本当に「見捨てられました」それは死に渡されるほどでした。
この身代わりの十字架によって、事実私たちは「本当の断絶」から守られているのです。
「見捨てられた」と感じるようなとき、思い出してください。
「本当の断絶は、イエス様がすでに受けてくださった。自分は決して一人じゃないはずだ」と。
そしたら見えてきます。あなたの側にいる人たちが。あなたの側にいる主なる神が。
Makoto Kohatsu
2016.1.23.Sat.
マタイ27章27-44節
十字架にかかろうとしているイエス様の周りで色んな人間模様が描かれています。
その中に、イエス様の十字架を無理やり背負わされたシモンというクレネ人がでてきます(32節)。
学者によると、後のパウロの手紙の中で、彼の子どもたちの名前が主の弟子として出てきます。
十字架を無理やり背負わされてシモンは、初め快くは思わなかったでしょうが、十字架のイエス様を目の当たりに見て、最後にはイエス様を信じたのでしょう。その信仰が子どもたちにも伝わったのでしょう。
あなたも無理やり十字架を背負われれるような大変な中を通ることがあるかもしれません。
そんな時こそ主を体験するチャンスなのです。
Makoto Kohatsu
マタイ27章27-44節
十字架にかかろうとしているイエス様の周りで色んな人間模様が描かれています。
その中に、イエス様の十字架を無理やり背負わされたシモンというクレネ人がでてきます(32節)。
学者によると、後のパウロの手紙の中で、彼の子どもたちの名前が主の弟子として出てきます。
十字架を無理やり背負わされてシモンは、初め快くは思わなかったでしょうが、十字架のイエス様を目の当たりに見て、最後にはイエス様を信じたのでしょう。その信仰が子どもたちにも伝わったのでしょう。
あなたも無理やり十字架を背負われれるような大変な中を通ることがあるかもしれません。
そんな時こそ主を体験するチャンスなのです。
Makoto Kohatsu
2016.1.21.Thu.
マタイ27章1-10節
今回の箇所では、イエス様を売ったユダが後悔し、最後には自ら命を絶ったことが書かれています。
彼のようにはならないにしても、ともすると大きな失敗や罪の後、自分の価値を見失い、その場から自分を消し去ってしまいたいと思うことがあるかもしれません。
でも、それは立ち止まらなければなりません。
思い出してください。
それでも自分は愛され赦されていると。
Makoto Kohatsu
マタイ27章1-10節
今回の箇所では、イエス様を売ったユダが後悔し、最後には自ら命を絶ったことが書かれています。
彼のようにはならないにしても、ともすると大きな失敗や罪の後、自分の価値を見失い、その場から自分を消し去ってしまいたいと思うことがあるかもしれません。
でも、それは立ち止まらなければなりません。
思い出してください。
それでも自分は愛され赦されていると。
Makoto Kohatsu
2016.1.20.Wed.
マタイ26章75節「そこでペテロは、…イエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた」
イエス様を裏切る言葉を連呼した後に、彼はイエス様のみことばを思い出しました。
それが悔い改めへの第一歩となりました。
聖書のみことばであるなら、たとえそれが厳しいことばであったとしても、主イエスを思い起こさせます。
ペテロはみことばを思い出し、初めは激しく泣くようなことになりましたが、それは明らかに回復への一歩でもありました。
やっぱり暗唱聖句は大切!!
みことばを思い出す祝福を!
Makoto Kohatsu
マタイ26章75節「そこでペテロは、…イエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた」
イエス様を裏切る言葉を連呼した後に、彼はイエス様のみことばを思い出しました。
それが悔い改めへの第一歩となりました。
聖書のみことばであるなら、たとえそれが厳しいことばであったとしても、主イエスを思い起こさせます。
ペテロはみことばを思い出し、初めは激しく泣くようなことになりましたが、それは明らかに回復への一歩でもありました。
やっぱり暗唱聖句は大切!!
みことばを思い出す祝福を!
Makoto Kohatsu
2016.1.19.Tue.
マタイ26章68節「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか」
十字架前、イエス様があざける者たちに殴られながら言われた言葉です。
それに対して、イエス様は何も答えませんでした。
答える必要はなかったのです。
「誰が打ったか」よりも「打つ者全ての罪を背負うこと」の方が大切だったからです。
あなたも自分の言葉や行いがイエス様を打っていたと認めるなら、それはむしろ十字架の赦しを受けることになります。
「神や人を打ってきたような私のために十字架にかかってくれてありがとうございます」
そのような感謝の心で主の前にでませんか。
Makoto Kohatsu
マタイ26章68節「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか」
十字架前、イエス様があざける者たちに殴られながら言われた言葉です。
それに対して、イエス様は何も答えませんでした。
答える必要はなかったのです。
「誰が打ったか」よりも「打つ者全ての罪を背負うこと」の方が大切だったからです。
あなたも自分の言葉や行いがイエス様を打っていたと認めるなら、それはむしろ十字架の赦しを受けることになります。
「神や人を打ってきたような私のために十字架にかかってくれてありがとうございます」
そのような感謝の心で主の前にでませんか。
Makoto Kohatsu
2016.1.18.Mon.
マタイ26章52節「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」
こう言われた時の弟子は、イエス様を守るために剣をとりました。
たとえ良い目的のためであったとしても、剣は剣を呼び滅びを招くというのです。
振り返ってみてどうでしょうか?
正しいことだからとか、良いことだから、という理由で振りかざした「ことばの剣」「態度の剣」はなかったでしょうか。
今日のみことば決して他人事ではありません。
Makoto Kohatsu
マタイ26章52節「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」
こう言われた時の弟子は、イエス様を守るために剣をとりました。
たとえ良い目的のためであったとしても、剣は剣を呼び滅びを招くというのです。
振り返ってみてどうでしょうか?
正しいことだからとか、良いことだから、という理由で振りかざした「ことばの剣」「態度の剣」はなかったでしょうか。
今日のみことば決して他人事ではありません。
Makoto Kohatsu
2016.1.15.Fri.
マタイ26章26-35節
30節では、賛美の後にオリーブ山に向かったとあります。
そして、このオリーブ山でイエス様の激しい祈りがありました。
つまり「賛美は祈りへと導くもの」ということです。
どうでしょうか?
賛美するとき、ただ歌っているということはないですか?逆にただノッているということはないですか?
どうか賛美のたびに祈りへと心が向けられていきますように。
Makoto Kohatsu
マタイ26章26-35節
30節では、賛美の後にオリーブ山に向かったとあります。
そして、このオリーブ山でイエス様の激しい祈りがありました。
つまり「賛美は祈りへと導くもの」ということです。
どうでしょうか?
賛美するとき、ただ歌っているということはないですか?逆にただノッているということはないですか?
どうか賛美のたびに祈りへと心が向けられていきますように。
Makoto Kohatsu
2016.1.13.Wed.
マタイ26章1-13節
13節「…この人の記念となるでしょう」
メモリアル。思い出。記念写真…
基本、みんな好きなものだとおもいます。
色んな形がありますね。
ペンダント、コイン、フォトブック、トロフィー、メダル、DVDやBDに焼き付けたり…
更に、写メでとってシェアしたりもします。
確かに良いものですし、僕もそれをします。
でも、それ以上に今日はこの事を確認しましょう。
「主のためにしたことだけが永遠に残る(記念となる)」(by レイモンド・シェルホン、KCCの創設者)
Makoto Kohatsu
マタイ26章1-13節
13節「…この人の記念となるでしょう」
メモリアル。思い出。記念写真…
基本、みんな好きなものだとおもいます。
色んな形がありますね。
ペンダント、コイン、フォトブック、トロフィー、メダル、DVDやBDに焼き付けたり…
更に、写メでとってシェアしたりもします。
確かに良いものですし、僕もそれをします。
でも、それ以上に今日はこの事を確認しましょう。
「主のためにしたことだけが永遠に残る(記念となる)」(by レイモンド・シェルホン、KCCの創設者)
Makoto Kohatsu
2016.1.12.Tue.
マタイ25章31-46節
イエス様がした有名なたとえ話です。
今回挙げるキーワードは、「いつ」です。
この短い文の中に、4回同じような形で「いつ」と書かれています。
長い話を短くすると、「神と『いつ』交わるか」ではなく、「神との交わりは『いつでも』そこにあるもの」ということです。
「この時間だけ神と交わろう」というのは実はないのです。
神は「いつも、いつでも」あなたの前にいるのですから。
Makoto Kohatsu
マタイ25章31-46節
イエス様がした有名なたとえ話です。
今回挙げるキーワードは、「いつ」です。
この短い文の中に、4回同じような形で「いつ」と書かれています。
長い話を短くすると、「神と『いつ』交わるか」ではなく、「神との交わりは『いつでも』そこにあるもの」ということです。
「この時間だけ神と交わろう」というのは実はないのです。
神は「いつも、いつでも」あなたの前にいるのですから。
Makoto Kohatsu
2016.1.8.Fri.
マタイ24章45-51節
「いつ主に見られてもいいように」
このような心構えでいましょう。
完璧である必要はありません。
失敗があっても構いません。
あなたの中に、主の存在を認め、常に素直であ
主はむしろ、その弱さや欠けを受け止め良いことに変えてくださるでしょう。
「いつ主に見られてもいいように」
Makoto Kohatsu
マタイ24章45-51節
「いつ主に見られてもいいように」
このような心構えでいましょう。
完璧である必要はありません。
失敗があっても構いません。
あなたの中に、主の存在を認め、常に素直であ
主はむしろ、その弱さや欠けを受け止め良いことに変えてくださるでしょう。
「いつ主に見られてもいいように」
Makoto Kohatsu
2016.1.2.Sat.
マタイ23章26節「まず、杯の内側をきよめなさい」
はっきりとしたイエス様の命令です。
罪の赦しを受け取っていないものは、悔い改めて十字架を受け入れましょう。
きよめの必要を感じさせられている者は、十字架の力に心から信頼しましょう。
新しい年、心きよめられないで始めることのないように。
Makoto Kohatsu
マタイ23章26節「まず、杯の内側をきよめなさい」
はっきりとしたイエス様の命令です。
罪の赦しを受け取っていないものは、悔い改めて十字架を受け入れましょう。
きよめの必要を感じさせられている者は、十字架の力に心から信頼しましょう。
新しい年、心きよめられないで始めることのないように。
Makoto Kohatsu
2016.1.1.Fri.
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
マタイ23章1-12節
今回の箇所でイエス様が言いたいことは、
「先生」とか「〇〇の父」とか「師」とか、今の時代でいうと「〇〇のマスター」とか…
そうやって「呼ばれる」ことを愛してはいけない。
むしろ、その立場にふさわしく「仕える」者となりなさい、ということです。
主に仕え、次世代に仕える者となろう!
Makoto Kohatsu
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
マタイ23章1-12節
今回の箇所でイエス様が言いたいことは、
「先生」とか「〇〇の父」とか「師」とか、今の時代でいうと「〇〇のマスター」とか…
そうやって「呼ばれる」ことを愛してはいけない。
むしろ、その立場にふさわしく「仕える」者となりなさい、ということです。
主に仕え、次世代に仕える者となろう!
Makoto Kohatsu