2016.2.29.Mon.
ローマ12章6節「私たちは、…異なった賜物を持っている…」
分かりきったことのようで、なかなかそう思えていない事があります。
でも、やっぱりこのみことばのように、あなたは「あの人」のようになれないし、「あの人」もあなたのようになれない。
「あの人」にあるものが、あなたにないからといって嘆くことはない。
逆に、自分にあるものが「あの人」にないからといって見下してもいけない。
私たちは、それぞれ異なった賜物を持っているわけですから♪
Makoto Kohatsu
ローマ12章6節「私たちは、…異なった賜物を持っている…」
分かりきったことのようで、なかなかそう思えていない事があります。
でも、やっぱりこのみことばのように、あなたは「あの人」のようになれないし、「あの人」もあなたのようになれない。
「あの人」にあるものが、あなたにないからといって嘆くことはない。
逆に、自分にあるものが「あの人」にないからといって見下してもいけない。
私たちは、それぞれ異なった賜物を持っているわけですから♪
Makoto Kohatsu
2016.2.24.Wed.
ローマ10章15節「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」
要するにイエス様の愛を伝える人になろう!ということですよね。
3/20のユース・ワーシップではは、ドリームマッチ(お笑い大会)。
4/17は、ウェルカムユース(ユースの伝道会)。
こうゆう機会を用いて、本当の神であるイエス様を伝える人になろう!
^ ^
Makoto Kohatsu
ローマ10章15節「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」
要するにイエス様の愛を伝える人になろう!ということですよね。
3/20のユース・ワーシップではは、ドリームマッチ(お笑い大会)。
4/17は、ウェルカムユース(ユースの伝道会)。
こうゆう機会を用いて、本当の神であるイエス様を伝える人になろう!
^ ^
Makoto Kohatsu
2016.2.19.Fri.
ローマ8章37節には「圧倒的な勝利者」ということばがあります。
「勝利者」とは英語でチャンピオン。
チャンピオンの本来の意味は、「勝った人」ではなく「誰かのために闘う人のこと」です。
神の愛に生き、神と人とのために闘って生きる人は、そのブレない生き方ゆえに勝利者なのです!
Makoto Kohatsu
ローマ8章37節には「圧倒的な勝利者」ということばがあります。
「勝利者」とは英語でチャンピオン。
チャンピオンの本来の意味は、「勝った人」ではなく「誰かのために闘う人のこと」です。
神の愛に生き、神と人とのために闘って生きる人は、そのブレない生き方ゆえに勝利者なのです!
Makoto Kohatsu
2016.2.18.Thu.
ローマ8章14節「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」
神の御霊に導かれる人とは、イエス様を自分の救い主、唯一の神として信じ告白する人のことです。
あなたがその信仰告白に今日も生きているのなら…
悪い人ではなく、弱い人でもなく、罪の奴隷でもない…
神の子なのです!!
「主こそ神です」と今日も告白しましょう!
Makoto Kohatsu
ローマ8章14節「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」
神の御霊に導かれる人とは、イエス様を自分の救い主、唯一の神として信じ告白する人のことです。
あなたがその信仰告白に今日も生きているのなら…
悪い人ではなく、弱い人でもなく、罪の奴隷でもない…
神の子なのです!!
「主こそ神です」と今日も告白しましょう!
Makoto Kohatsu
2016.2.16.Tue.
ローマ7章25節「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します」
自分の内にある罪を認め、自分の弱さを正直の受け入れる者には、ただ神への感謝が生まれますね。
自分で生きているのではなく、生かされていることが分かります。
歯食いしばって生きるのではなく、愛されていることが分かります。
ただ神に感謝しましょう。
Makoto Kohatsu
ローマ7章25節「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します」
自分の内にある罪を認め、自分の弱さを正直の受け入れる者には、ただ神への感謝が生まれますね。
自分で生きているのではなく、生かされていることが分かります。
歯食いしばって生きるのではなく、愛されていることが分かります。
ただ神に感謝しましょう。
Makoto Kohatsu
2016.2.15.Mon.
ローマ7:1-13
今回の箇所では、律法について色々書かれています。
死をもたらしているのが、律法なのだと言っている人に対して、聖書ははっきりと言います。「罪だ」と。
自分の罪を棚に上げて、他の何かのせいにしてはいけません。
言い訳ばかりで、自分の罪を認めないということが負のサイクルをもたらすのです。
どうでしょうか?
素直に自分の非や罪を認められる者には、赦しがあります。
救いが約束されているのです。
Makoto Kohatsu
ローマ7:1-13
今回の箇所では、律法について色々書かれています。
死をもたらしているのが、律法なのだと言っている人に対して、聖書ははっきりと言います。「罪だ」と。
自分の罪を棚に上げて、他の何かのせいにしてはいけません。
言い訳ばかりで、自分の罪を認めないということが負のサイクルをもたらすのです。
どうでしょうか?
素直に自分の非や罪を認められる者には、赦しがあります。
救いが約束されているのです。
Makoto Kohatsu
2016.2.13.Sat.
ローマ6章23節「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」
罪に従うものには死という報酬(給料)が与えられます。
神に従う者には、永遠のいのちという賜物(プレゼント)が与えられるのです。
笑い事じゃないですよね。
神にただ従いましょう!
Makoto Kohatsu
ローマ6章23節「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」
罪に従うものには死という報酬(給料)が与えられます。
神に従う者には、永遠のいのちという賜物(プレゼント)が与えられるのです。
笑い事じゃないですよね。
神にただ従いましょう!
Makoto Kohatsu
2016.2.12.Fri.
ローマ6章11節「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」
もし、あなたがイエス様の十字架の死と復活を信じるなら、そして、そのイエス様をあなたの人生に迎え入れているなら…
あなたは自分の罪に死んでいる、つまり自分の罪に縛られる必要はありません。
そして、新しい命に生きている、つまり神のために豊かに用いられるのです!
Makoto Kohatsu
ローマ6章11節「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」
もし、あなたがイエス様の十字架の死と復活を信じるなら、そして、そのイエス様をあなたの人生に迎え入れているなら…
あなたは自分の罪に死んでいる、つまり自分の罪に縛られる必要はありません。
そして、新しい命に生きている、つまり神のために豊かに用いられるのです!
Makoto Kohatsu
2016.2.10.Wed.
ローマ5章1-11節
今回の箇所には、3つの「時」が描かれています。
①私たちがまだ弱かった時(6節)
②まだ罪人だった時(8節)
③敵であった(10節)
これらどんな「時」にも、主の愛は注がれていました。
この主の愛に応えて生きよう!
Makoto Kohatsu
ローマ5章1-11節
今回の箇所には、3つの「時」が描かれています。
①私たちがまだ弱かった時(6節)
②まだ罪人だった時(8節)
③敵であった(10節)
これらどんな「時」にも、主の愛は注がれていました。
この主の愛に応えて生きよう!
Makoto Kohatsu
2016.2.9.Tue.
ローマ4章18,20節では、信仰とは望みえない時にこそ信じるものだということ。
望みえない時にこそ、信仰は強くなるものだということが書かれています。
さて、私たちの信仰はどうでしょうか?
調子がいい時に信じられるのは当たり前でしょう。
調子が悪い時こそ、信仰が生きて働く時です。
今日、様々な困難や戦いの中で、あなたの信仰は生きて働いていますか?
Makoto Kohatsu
ローマ4章18,20節では、信仰とは望みえない時にこそ信じるものだということ。
望みえない時にこそ、信仰は強くなるものだということが書かれています。
さて、私たちの信仰はどうでしょうか?
調子がいい時に信じられるのは当たり前でしょう。
調子が悪い時こそ、信仰が生きて働く時です。
今日、様々な困難や戦いの中で、あなたの信仰は生きて働いていますか?
Makoto Kohatsu
2016.2.2.Tue.
ローマ2章1-16節
神のさばきを軽んじてはいけません。それは確かにあるものだと聖書はいっています。
同時に、神の慈愛(深い愛)も軽んじてはいけません。
どんな人であったとしても、主に愛され赦されていることを、疑ってはいけないのです。
これこそ、神を神とすると言えるでしょう。
主の裁きを覚え、かつ赦しに感謝する1日を!
Makoto Kohatsu
ローマ2章1-16節
神のさばきを軽んじてはいけません。それは確かにあるものだと聖書はいっています。
同時に、神の慈愛(深い愛)も軽んじてはいけません。
どんな人であったとしても、主に愛され赦されていることを、疑ってはいけないのです。
これこそ、神を神とすると言えるでしょう。
主の裁きを覚え、かつ赦しに感謝する1日を!
Makoto Kohatsu
2016.2.1.Mon.
ローマ1章26-32節
28節「彼らが神を知ろうとしたがらない…」
今回の箇所には死に至る罪が書かれています。
その一番の原因となるのが、冒頭のみことばです。
神を求めないということは、いのちを求めないということです。
厳粛なことですよね。
神を求めていのちに溢れる人生を!!
Makoto Kohatsu
ローマ1章26-32節
28節「彼らが神を知ろうとしたがらない…」
今回の箇所には死に至る罪が書かれています。
その一番の原因となるのが、冒頭のみことばです。
神を求めないということは、いのちを求めないということです。
厳粛なことですよね。
神を求めていのちに溢れる人生を!!
Makoto Kohatsu