エペソ6:11
by 齋藤神学生
信仰生活はファイティング♪
あるユースが士師記の通読を終えて、そのシェアリングをしてくれました。
以下がその内容です。 士師記21章 士師記の最終章。 それはこの言葉で終わっていた。 25節「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいことを行っていた。」 士師記を大幅に要約すると、この言葉に集約されると思う。士師記は、イスラエル人が自分勝手に振る舞った話に始まり、自分勝手に振る舞った結果取り返しのつかない事態が起こる話で終わった。 リーダーたちの姿から学ぶ箇所も多かったが、それ以上に民の学ばなさから思わされることが多かった。 人間は弱いから、そして欲望に忠実だから、簡単にこのような結果に陥り、また繰り返すのだと思う。それでも、神様は私たちを見捨てず、士師記では士師たちを、現代の私たちには牧師先生やGLなどの指導者を与えてくださる。その上で、私たちはどうすべきなのかをしっかり考えていかなければならない。 なんとも言えない終わり方で士師記は閉じられているが、完全なバッドエンドではない。その後、ベニヤミン族はイスラエル最初の王の一族を輩出した(晩年のサウルの振る舞いや、シムイのダビデに対する態度はとても褒められたものではないが)。そのように、絶望的にしか見えず、神様からももはや見捨てられ、自棄に陥るしかないような時でも、神様は希望に溢れた計画を持っておられる。自分もそんな時に主にあって希望に生きるものでありたい。 |